『鳳凰三山』

【中三日のリハビリ・ランと、高所への適応】

大峯奥駈道150kmの縦走から、中三日。

身体の深部にはまだ確かな疲労が残っていたが、あまりの天気の良さに、どうしても山へ入らずにはいられなかった。

今年初となる、標高2000mを超える高山域へのアプローチ。
急激な高度上昇による高山病の兆候が気になるところだったが、いざ稜線に出て風を切って走ってみても、息苦しさや頭痛といった不調は全く現れなかった。

大峯では靭帯を守るための「盾」として徹底運用したトレッキングポールも、今回はあくまで緊急用のバックアップとしてザックに忍ばせ、純粋な自分の脚力だけを頼りとする「リハビリ・スタート」を切った。

まだ身体は重く、出力を全開まで引き上げるような山行ではない。
それでも、スピードを手放した大峯のファストハイクから一転し、久々に軽快なステップで山を駆け抜ける「トレイルランニング」の感覚は、たまらなく気持ちが良かった。

 

【残雪のトレイルと、山頂の甘味】

標高を上げるにつれ、登山道にはまだ凍った雪がしっかりと残っている区間が現れた。 往路の登りではカチカチに凍てついていた雪面も、復路で下る頃には気温の上昇に伴って少し溶け出し、非常に滑りやすくなっていた。路面状況の変化を楽しみながら、慎重かつリズミカルに足を運ぶ。

標高2840mの観音岳の山頂に到達。
ここでザックから取り出したのは、最近お気に入りの「こしあんどら焼き」だ。

消化管への負担(脂質・食物繊維)を極力抑えつつ、高所での即効性のエネルギーとして理にかなったこの甘味をかじり、居合わせた登山者と会話を楽しむ。
 

ストイックに限界を追い求める時間も美しいが、こうして頂の空気をゆっくりと味わい、人と交流する時間もまた、山がもたらしてくれる豊かな彩りだ。

 

【完璧な富士と、最適化された身体】

私は、この鳳凰三山から望む絶景が心から好きだ。

ここへ来ると、毎回カメラのシャッターを切る手が止まらなくなるが、今回は100枚以上もの写真を撮影した。

過去何度も訪れている鳳凰三山だが、今回の絶景はこれまでで一番美しかったと言い切れる。特に、青空にそびえ立つ富士山は「まさしく日本一!」と感嘆するほど、完璧な美しさと威厳を放っていた。

終わってみれば、移動距離26km、累積標高2300m超えという行程であったが、驚くべきことにスタート時に持った1Lの水は、南御室小屋の湧水に到着するまでに300mlも消費していなかった。

そこで念のため満水にしたものの、復路でもほぼ補給を必要とせず、そのまま下山。ゴール後も水はたっぷりと余っていた。

気温は例年よりも高かったにもかかわらず、なぜここまで水が減らなかったのか。これには、生理学的な理由があると推測できる。

一つ目は、過酷だった大峯奥駈道を縦走したことで、身体がすでに「夏の暑さ」に対して完全に適応(暑熱順化)し、無駄な汗をかかない冷却システムが構築されていたこと。

二つ目は、極限の疲労から中三日の休息と栄養補給を経たことで、筋肉内に大量のグリコーゲンが蓄えられていたこと。(超回復)
グリコーゲンは水分を抱え込む性質があり、エネルギーとして燃焼されると同時に体内に水分が放出される。
つまり、身体そのものが「内部から水分を自給自足するタンク」として機能していたのだ。

そして三つ目は、「まだ身体が重いので出し切る山行ではない」と出力をコントロールし、心拍数を上げすぎないよう無意識に運動強度を抑えていたこと。

今回の高燃費は、決して偶然や単なる我慢ではない。
身体の環境適応能力とエネルギー貯蔵システムが、しっかりと最適化されていることの明確な証明であった。

大峯奥駈道という壮大なプロローグを経て、いよいよ本格的な夏山シーズンが幕を開ける。

そのスタートの日として、これ以上ないほど素晴らしい一日となった。

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【鳳凰三山】

行動時間: 5時間55分(休憩30分)
移動距離: 26.16km
累積標高: 上昇 2327m / 下降 2323m
消費カロリー: 3512kcal

『人生という思い出づくり』 〜大峯奥駈道 6日目(最終日)〜

【感謝】 

最終日の朝。
5泊6日の旅の最後の拠点となった行仙宿のフロア全体と玄関を、心を込めて丁寧に掃き掃除する。

お世話になった空間を清め、お堂にて無事の完遂を報告するお礼参りをした。最後に小屋へ向かって深く一礼し、熊野市駅へと続く下山の途についた。

 

【最後まで魅せる大峯と、祈りの道】 

すでに過酷な登り下りは終えているが、大峯の自然は下山中も最後まで、幻想的で美しい風景を私に魅せてくれた。 清流の澄んだせせらぎをすぐ側に感じながら、ひたすらに麓の下北山村へと下っていく。
 

途中、修験の歴史を刻む実利行者尊(じつりぎょうじゃそん)や、「うい山の天王」へ立ち寄り、静かに手を合わせた。 この過酷で美しい山行を最後まで見守ってくれたことへの、心からの感謝を伝える。

張り詰めていた心と身体を解きほぐしていくような、クールダウンの道だった。

 

【下界への帰還】 

熊野市駅へ向かうバスが出る「七色」のバス停に到着し、着替えを済ませる。

バスに揺られて熊野市駅へと着き、出発前から徹底した食事管理をしていただけに、久々に「下界の食事」を口にした時には、この6日間の旅が本当に終わったのだという安堵と実感が、じんわりと身体中に広がっていった。

帰路の電車に揺られながら、窓の外を流れる景色を見つめる。

今回の大峯奥駈道も、私にとって決して色褪せることのない「かけがえのない時間」であった。

誰かに成果を残して誇示したいわけでもなく、ひたすらスピードを追い求めているわけでもない。 ただただ、自分の内なる情熱を燃やし、その時々のベストを尽くし、自分自身の限界や新しい価値観へ、常に「挑戦する自分」であり続けたい。

人生とは、究極のところ「思い出づくり」なのだと思う。

この大峯で刻んだ彩り豊かな記憶は、これからも私の音楽と生き方を、より深く、力強く支えてくれるはずだ。

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【DAY6 記録】

行動時間: 2時間52分
移動距離: 19.16km
累積標高: 上昇 118m / 下降 1042m
消費カロリー: 1307kcal

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※おわりに
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【大峯が導いた音楽と生き方】〜大峯奥駈道 150kmの軌跡〜

5泊6日、総距離150km、累積標高10,000m。
今春の大峯奥駈道の旅が、無事に幕を閉じました。

今回の最大のミッションは、手負いだった両足の靭帯を守り抜き、「無傷で生還する」ことでした。

そのために、スピードを手放し、トレッキングポールを盾として使い、下りの衝撃を避けるための変則ルートまで組み込みました。 生体力学的な検証とダメージコントロールを徹底した結果、靭帯の痛みが暴走することは一度もなく、完璧に脚を守り切ることができました。まさに『準備が9割』を証明する山行となりました。

さらに不思議なことに、右足の腸脛靭帯炎の痛みは、すべての行程が終わる頃には完全に消えていました。 生体力学的な理由があったとしても、私はこれを山の神々のおかげ様だと、心から感謝したいと思います。

この旅で得た最大の収穫は、縦走の完遂という物理的な結果だけではありませんでした。

臨機応変に、その時々に適応する「水のような在り方」を実体験として学ぶことでもありました。

暗闇ではなく、太陽の光の下でピークを踏みしめ、大自然とじっくり対話する「ファストハイク」というスタイル。 それは、モノクロだった私の縦走の世界に、これまで気づかなかった「彩り」を与えてくれました。

激しい風雨や、一睡もできない極寒の夜。鎖場での深い没入感。そして、人の温もり。大峯の険しい自然の中に身を置き、余計なものを削ぎ落としていくと、不思議なほどに『音楽と生き方』がより明確に、そしてシンプルになっていくのを感じました。

この極限の道のりは、私にとってひとつの壮大な音楽そのものでした。そして、人生という「思い出づくり」の、最も美しい1ページとなりました。

この体験と気付きが、未来の私の音楽への確かな礎となると確信しています。

 

今回の経験は、今年の夏山へとさらに繋がっていきます。

次はアルプスの壮大な山々で、また新しい景色と自分に出会うための準備を進めていこうと思います。

長きにわたる大峯奥駈道の備忘録に最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。 

大峯の山々と、応援し、見守ってくださった皆様に、心からの感謝を。

SHIBATEN

『繋がれた道と、新しい扉』〜大峯奥駈道 5日目〜

【熱気の中のスタート】 

朝6時。
前日の「心と身体と装備の調律」を終えた肉体は、確実に軽さを取り戻していた。 

熊野川を越え、再び大峯奥駈道の深く険しい山域へと踏み込んでいく。

この日は朝からすでに気温が高かった。

人に歩かれていない証拠である纏わりつく蜘蛛の巣を払い除けながら、まずは中間地点である玉置神社を目指して一歩一歩、高度を上げていく。

玉置神社へ至る道の途中で、事前の調査山行(熊野本宮大社〜玉置神社)の際に確認しておいた沢を頼りに、追加の水を補給する。

過去の自分の小さな積み重ねが、今の自分を確実に助けてくれる。こうしたパズルのピースがカチッとはまる瞬間も、ロングトレイルの醍醐味だ。

スタートからちょうど5時間で玉置山に到着。
神社で水を2Lの満水にし、一旦玉置神社の駐車場へと降りた。 

自動販売機で冷たい飲み物を買い、現代のエネルギーで心身をリフレッシュさせる。

これから始まる最難関「玉置神社〜行仙宿」の区間に向け、ここでもう一度、深く気合を入れ直した。

 

【完全なる没入。地蔵岳・槍ヶ岳】 

玉置神社を出発すると、覚悟していた通りの「這い上がる試練の激登り」が牙を剥いた。 

果てしなく続くように感じられる登り下りの連続に、息が上がり、汗が噴き出す。

そして、いよいよ大峯奥駈道屈指の難所である「地蔵岳・槍ヶ岳」の鎖場区間へと突入した。

ここでは即座にポールをたたみ、ザックに固定する。 

研ぎ澄まされた緊張感とアドレナリンが全身を駆け巡り、集中力がMAXに達する。

余計な思考は完全に消え去り、目の前の岩肌や木の根の形状だけを読み、手足の置き場を確実に決めながら、全身を使って焦らず慎重に進んでいく。
 

恐怖よりも、身体と心が完全に一致するような、深く静かな没入感(フロー状態)の中にいた。

 

【安堵の笠捨越え】 

極限の集中を要した地蔵岳・槍ヶ岳を無事に越え、本日最後のピークである「笠捨山(かさすてやま)」へと取り付く。 

本来なら足にくる厳しい登りのはずだが、今日のこれまでの張り詰めた行程を思えば、この最後の笠捨越えは不思議と穏やかで、心地よいものにさえ感じられた。

山頂からの素晴らしい景色をしばらく堪能した後、さらにいくつかのアップダウンを越え、ついにこの日のゴールである「行仙宿(ぎょうせんのしゅく)」に到着した。 

3日目の夜にもお世話になったこの無人避難小屋。
お堂にて感謝の読経をした後、扉を開けながら思わず「ただいま」と声が漏れた。

過酷な登り返しを伴う変則的なルートではあったが、これで無事に吉野から熊野本宮大社までの大峯奥駈道を、自分の足で一本に繋ぎ切ることができた。

 

【ファストハイクという新しい扉】 

無傷で生還し、道を繋ぐこと。

その目的の裏で、今回の大峯奥駈道は、これまでの私の「一気に駆け抜ける縦走(トレイルランニング)」とは全く質の違うものになった。

数日という時間をかけ、あえて寄り道をし、環境の変化に適応しながら、じっくりと大自然の懐に抱かれる「ファストハイク」。 

これがこんなにも面白く、また違った彩りとなって精神を豊かにしてくれるものだとは、実際にやってみるまで気づかなかった。むしろ自分に合っているのではないかとさえ思えた。

私の中にまた一つ、山への新しい興味と扉が開かれた感覚である。

今年の夏山は、ぜひ数日かけて、日本アルプスの壮大な山々をじっくりと縦走してみたい。そんな新たな夢想を抱きながら、深く静かな夜を迎えた。

いよいよ明日、この長く美しかった大峯奥駈道の旅も、最終日の6日目を迎える。

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【DAY5 記録】

行動時間: 9時間34分
移動距離: 37.12km
累積標高: 上昇 3352m / 下降 2312m
消費カロリー: 4688kcal