『繋がれた道と、新しい扉』〜大峯奥駈道 5日目〜

【熱気の中のスタート】 

朝6時。
前日の「心と身体と装備の調律」を終えた肉体は、確実に軽さを取り戻していた。 

熊野川を越え、再び大峯奥駈道の深く険しい山域へと踏み込んでいく。

この日は朝からすでに気温が高かった。

人に歩かれていない証拠である纏わりつく蜘蛛の巣を払い除けながら、まずは中間地点である玉置神社を目指して一歩一歩、高度を上げていく。

玉置神社へ至る道の途中で、事前の調査山行(熊野本宮大社〜玉置神社)の際に確認しておいた沢を頼りに、追加の水を補給する。

過去の自分の小さな積み重ねが、今の自分を確実に助けてくれる。こうしたパズルのピースがカチッとはまる瞬間も、ロングトレイルの醍醐味だ。

スタートからちょうど5時間で玉置山に到着。
神社で水を2Lの満水にし、一旦玉置神社の駐車場へと降りた。 

自動販売機で冷たい飲み物を買い、現代のエネルギーで心身をリフレッシュさせる。

これから始まる最難関「玉置神社〜行仙宿」の区間に向け、ここでもう一度、深く気合を入れ直した。

 

【完全なる没入。地蔵岳・槍ヶ岳】 

玉置神社を出発すると、覚悟していた通りの「這い上がる試練の激登り」が牙を剥いた。 

果てしなく続くように感じられる登り下りの連続に、息が上がり、汗が噴き出す。

そして、いよいよ大峯奥駈道屈指の難所である「地蔵岳・槍ヶ岳」の鎖場区間へと突入した。

ここでは即座にポールをたたみ、ザックに固定する。 

研ぎ澄まされた緊張感とアドレナリンが全身を駆け巡り、集中力がMAXに達する。

余計な思考は完全に消え去り、目の前の岩肌や木の根の形状だけを読み、手足の置き場を確実に決めながら、全身を使って焦らず慎重に進んでいく。
 

恐怖よりも、身体と心が完全に一致するような、深く静かな没入感(フロー状態)の中にいた。

 

【安堵の笠捨越え】 

極限の集中を要した地蔵岳・槍ヶ岳を無事に越え、本日最後のピークである「笠捨山(かさすてやま)」へと取り付く。 

本来なら足にくる厳しい登りのはずだが、今日のこれまでの張り詰めた行程を思えば、この最後の笠捨越えは不思議と穏やかで、心地よいものにさえ感じられた。

山頂からの素晴らしい景色をしばらく堪能した後、さらにいくつかのアップダウンを越え、ついにこの日のゴールである「行仙宿(ぎょうせんのしゅく)」に到着した。 

3日目の夜にもお世話になったこの無人避難小屋。
お堂にて感謝の読経をした後、扉を開けながら思わず「ただいま」と声が漏れた。

過酷な登り返しを伴う変則的なルートではあったが、これで無事に吉野から熊野本宮大社までの大峯奥駈道を、自分の足で一本に繋ぎ切ることができた。

 

【ファストハイクという新しい扉】 

無傷で生還し、道を繋ぐこと。

その目的の裏で、今回の大峯奥駈道は、これまでの私の「一気に駆け抜ける縦走(トレイルランニング)」とは全く質の違うものになった。

数日という時間をかけ、あえて寄り道をし、環境の変化に適応しながら、じっくりと大自然の懐に抱かれる「ファストハイク」。 

これがこんなにも面白く、また違った彩りとなって精神を豊かにしてくれるものだとは、実際にやってみるまで気づかなかった。むしろ自分に合っているのではないかとさえ思えた。

私の中にまた一つ、山への新しい興味と扉が開かれた感覚である。

今年の夏山は、ぜひ数日かけて、日本アルプスの壮大な山々をじっくりと縦走してみたい。そんな新たな夢想を抱きながら、深く静かな夜を迎えた。

いよいよ明日、この長く美しかった大峯奥駈道の旅も、最終日の6日目を迎える。

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【DAY5 記録】

行動時間: 9時間34分
移動距離: 37.12km
累積標高: 上昇 3352m / 下降 2312m
消費カロリー: 4688kcal

『束の間の休息。心と身体と装備の調律』〜大峯奥駈道 4日目〜

【靭帯を死守するための変則ルート】 

朝はゆっくりと温かいフリーズドライ米を食べ、身支度を整える。 

お世話になった行仙宿の掃き掃除を終え、いざ出発。

4日目は、行仙宿からそのまま熊野本宮大社へと向かう通常のルートをとらず、あえて十津川村へと一度下山し、熊野本宮周辺に宿泊するという変則的な計画を実行した。

これには、生体力学的な明確な理由がある。

これ以上、連続する激しい下りの衝撃に晒され続ければ、手負いの両足の靭帯が耐えきれなくなる可能性が高かった。 

あえて一度ロードへエスケープし、翌日に長大なルートを「登り返す」形へとシフトする。登りが増えることで筋肉への負担は爆発的に増大するが、関節を破壊する「下りの着地衝撃」からは脚を完全に守ることができる。

これまでの綿密な計画に固執せず、身体の状態に合わせて形を変える。まさに「水のごとき適応」を形にした、後半戦をやり抜くための作戦だった。

 

【4日ぶりのお風呂と、足湯の時間】 

朝、行仙宿から麓の登山口へと一気に下り、白谷トンネルを抜けてロードを淡々と進んでいく。

森林植物公園のバス停からはマイクロバスに乗り、十津川温泉へ。そこからさらに数キロ歩き、「昴(すばる)の郷」にある温泉へと向かった。

温泉の営業開始は12時からだったため、1時間ほど外にある足湯に浸かり、ここまでの疲労をじんわりとほぐしながらのんびりと待つ。 

正午、ようやく入ることができた4日ぶりのお風呂は、言葉にできないほど最高に気持ちが良かった。身体の隅々にまで張り付いていた泥のような疲労が、温かい湯の中に溶け出していくようだった。

 

【翌日の決戦に向けた準備】 

入浴後はさらにバスで移動し、この日の宿泊地へとチェックインを済ませた。

すべてのウェアをランドリーに放り込み、明日待ち受けている「行仙宿へと這い上がる、試練の激登りとアップダウン」に備えて、装備や行動食のパッキングを忙しく整える。気づけばあっという間に夜遅くになっていた。

この日は、移動距離こそ21kmほどあったが、激烈だったこれまでの3日間に比べれば、とても良い『心と身体と装備』のリフレッシュ日となった。

束の間の休息で、身体も、道具も、そして心も完全に調律し直すことができた。 明日5日目は、再び大峯の深部へと踏み込む、肉体的な正念場が待っている。

5日目へと続く。

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【DAY4 記録】

行動時間: 3時間16分
移動距離: 21.07km
累積標高: 上昇 229m / 下降 844m
消費カロリー: 1332kcal

『凍てつく霧氷と、試される適応力』〜大峯奥駈道 3日目〜

【氷点下から灼熱へ。大峯の洗礼】 

外ではものすごい風が吹き荒れる音が響いている。
意を決して布団から抜け出し、出発の支度を整えた。

靴を履いていざ外へ出てみると、風は肌を刺すように冷たく、目の前に張られていた他の登山者のテントはカチカチに凍りついていた。 

関西最高峰である八経ヶ岳(はっきょうがたけ)を越える頃には、あたり一面に美しい霧氷(むひょう)が広がっていた。

あまりの寒さに、自然とペースが上がる。
弥山小屋で満タンにした2Lの水も、この寒さの中ではほとんど口にする必要がないほどだった。

しかし、標高を下げて釈迦ヶ岳へと向かうにつれて、気温は一気に上昇していく。南奥駈道に入る頃には、太陽の光がジリジリと容赦なく身体を火照らせるようになっていた。 

氷点下の世界から灼熱への急激な変化。
これもまた、大峯の洗礼である。


【こだわりを手放す実験:行動食としてのパン】 

今日の行動食は、弥山小屋にかろうじて売れ残っていたチョコクリームパンとディニッシュミルクパン。そして、小屋でお願いしていたお弁当である。

普段のトレイルランニングであれば、脂質の高いパンを行動食に選ぶことはまずない。しかし今回の旅のテーマは、極限までこだわってきた「理論」を手放し、可能なかぎり、現場にあるもので臨機応変に適応することだ。 

これはある意味で、自分自身の適応力を試す実験でもあった。


【修験道の真髄と、感謝の道のり】 



途中の持経宿(無人避難小屋)でザックを下ろし、しばしの休憩をとる。これまでの「1泊2日」のスタイルであれば、吉野からスタートして約15時間(60km地点)、ここが1泊目の宿だった場所だ。 

ここは管理されている「新宮山彦ぐるーぷ」の方々がいつも綺麗に保ってくださっている、本当にありがたいオアシスである。(行仙宿・平治宿も同様に)

今回はお水だけをいただき、感謝とともに先へと歩みを進めた。

 

【奥駈道の中〜終盤戦】

この道は、事前に標高マップを見ただけでは到底想像もつかないほど、細かなアップダウンが果てしなく連続する。
岩場、鎖場、息の切れる激登りに、足にくる激下り。

日本アルプスのどの山々よりもハードな山行になるのではないかと感じる瞬間が何度もある。 

だからこそ、ここは単なる登山道ではなく『修験道』なのだということを、全身で痛感する。


【重い錘の恩恵と、深い眠り】 

弥山小屋を出発してから約9時間。
ようやく3日目の宿である行仙宿(無人避難小屋)に到着した。

実は、弥山小屋でお願いしていたあのお弁当は、結局行動中には手をつけなかった。背中で揺れるお弁当は、疲労が溜まるにつれて「食べないならただの重い錘(おもり)だ」と感じることもあった。 

しかし、行仙宿に着いて1回目の夕食としてその蓋を開け、口に運んだ瞬間、手作りの味が疲れ切った身体の隅々にまで深く沁み渡った。

シンプルなお弁当が、重い思いをして背負ってきた甲斐があったと、心から思えるほどの美味しさだった。

その後、さらに温かいフリーズドライ米も食べて胃を満たし、明日の準備をして早々に布団へ潜り込む。

標高1000mとはいえ、夜の行仙宿は底冷えする寒さだった。 

しかし、前日の一睡もできなかった夜とは違い、連日の過酷な疲労と満たされたお腹のおかげで、この日は深い眠りにつくことができた。

いよいよ旅は後半戦、4日目へと続いていく。

 

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【DAY3 記録】

行動時間: 8時間50分
移動距離: 29.40km
累積標高: 上昇 2449m / 下降 3253m
消費カロリー: 3421kcal