『生きる意味』について、最終回。
エアーズロックは聖地であり、現地語で『ウルル』という。
一枚岩だが、その標高は868mもあり、明らかに登山だ。
登るときは、当然敬意を払い登拝させて頂くわけだが、いつでも登れるわけではない。
大陸のど真ん中にポツンとあるため、頂上付近は風が強く、「強風のため、立ち入り禁止」になることが多い。
その他、雨、高温、宗教的理由などにより登山口が閉まってしまうことがあり、月に数回しか開かないこともあるようだ。
この時は、奇跡的にも三日間の滞在中に、毎日最高の条件でエアーズロックに登ることができた。
とても穏やかに、受け入れてくれた気がした。

頂上に着いて、何時間も空と大地を見つめながら考えた。
命がけでここまで来たけれど、飛行機でひょいっと来ることもできる。
僕の目的は、ここに立つことではなく、自分がこの地球で生きている意味を知りたかった。

この旅で、ほんの少しだけ見えてきた人生観。
それは、
「ここに存在している、それ自体に大きな意味がある」
ということ。
その意味は、必ず未来に繋がる。
この地球に、この美しい自然界に、無駄なものなんて一切ない。
同じように、人間も「生きている」それこそが意味のある、始まりの証。

「才能は他人が見出し、それを磨くのは本人の努力」
意味というものは自分で気付き得られるものだが、価値というものは、自分以外の他人のみが与えてくれるものだと思う。
だからこそ、
自分で自分には価値がないと決めない方がいい。
誰かのために精一杯何ができるのか?
そう考えたほうが、よっぽど健全だ。
生き抜いて行動した後に、価値もその意味も、結果としてアップデートされていく。

今、つらい人生を送っている人は、もう意味がないと命を絶つよりも、死なない生き方を考えていく方が、ずっと意味のある人生だと思うのです。
「自分の人生なんて意味がない」
そう思うこともあるかもしれないが、
自分を必要としている人が、この世の中には必ずいるし、パズルのピースのように、自分が役に立てる(ピースがハマる)場所が必ずある。
もし、本当に意味がないのだとしたら、我々はきっとこの世に生まれてきてはいないのだから。

何度でも言う、
私たちがここに存在するということ、そのこと自体にすでに大きな意味がある。
「幸せとは、気付くこと」
天国は、いま目の前、ここにある。

2002年 オーストラリアの旅より
人生観『生きる意味』/ 完
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最後までお読みいただいた方へ
ありがとうございました。
結論は、情報社会の現代においては至ってシンプルで、”過ぎ去った当たり前” かもしれませんが、当時22歳の自分には、これからの人生を信じる力強い『礎』となりました。
インターネットは「便利を持たらし、不安を解消するもの」として社会生活に浸透してきましたが、その近すぎる情報が、逆に人間にさらなる不便さと不安を持たらしている一面もあるかと思います。
そんな時代の嵐を乗り越えて、自分の道を進む『勇気』を持ち続けられる人間で在りたいと思っています。
二胡の修行時代に、自分自身へ向けて書いた言葉があります。

今でも時々、めんどくさがりで弱い自分を励ましてくれる言葉です。
試行錯誤の過程こそ、人生の醍醐味と思い出づくり◯
まだまだ精進します。
2025年12月 SHIBATEN









