『生きる意味』について、最終回。
エアーズロックは聖地であり、現地語で『ウルル』という。
一枚岩だが、その標高は868mもあり、明らかに登山だ。
登るときは、当然敬意を払い登らせて頂くわけだが、いつでも登れるわけではない。
大陸のど真ん中にポツンとあるため、頂上付近は風が強く、「強風のため、登頂禁止」になることが多い。
その他、雨、曇り、高温、文化的理由により登山口が閉まってしまうことがあり、月に数回しか開かない時もあるようだ。
僕は奇跡的にも、三日間の滞在中、毎日最高の条件でエアーズロックに登ることができた。
とても穏やかに、受け入れてくれた気がした。
頂上について、何時間も空と大地を見つめながら考えた。

命がけでここまで来たけれど、飛行機でひょいっと来ることもできる。
僕の目的は、ここに立つことではなく、自分がこの地球で生きている意味を知りたかった。
人は、「自分には本当に価値があるのだろうか?」と疑問に思うこともある。
この旅で、ほんの少しだけ見えてきた人生観。
それは、、
僕たちは「ここに存在しているということ、それ事態に大きな意味がある」ということ。
その意味は、今すぐに感じられる時もあるし、一年後かもしれない、十年後かもしれないが、いまやっていることは、良いことも悪いことも含め、必ず未来に繋がる。
そう、僕たちは、
「生きている」それだけで意味があるんだ。
「才能は他人が見出し、それを磨くのは本人の努力」
それと同じように、
価値(意味)というものは、自分以外の他人のみが与えてくれるものであり、
自分で自分には価値がないと決めてはいけない。
誰かのために精一杯何ができるのか?
そう考えたほうが、よっぽど健康的だ。
生きる意味は、行動する前には決して答えを教えてくれない。
行動し、生き抜いた後に、その意味は結果としてついてくる。
今、ものすごくつらい人生を送っている人は、生きる意味を求めて、自分には意味がないと命を絶つよりも、死なない生き方を考えていく方が、ずっと意味のある人生だと思うのです。
自分は自分のことを意味がないと思っているかもしれないが、
あなたを必要としている人が、この世の中には必ずいる。
もし、本当に意味がないのだとしたら、あなたはきっとこの世に生まれてきてはいないのだから。
何度でも言おう、
あなたがここに存在するということ、そのこと自体にすでに大きな意味がある。
「幸せとは、気付くこと」
天国は、いま目の前、ここにある。

2002年 オーストラリアの旅より
人生観『生きる意味』/ 完