人生観『生きる意味』⑺

『生きる意味』について、最終回。

エアーズロックは聖地であり、現地語で『ウルル』という。

一枚岩だが、その標高は868mもあり、明らかに登山だ。

登るときは、当然敬意を払い登らせて頂くわけだが、いつでも登れるわけではない。

大陸のど真ん中にポツンとあるため、頂上付近は風が強く、「強風のため、登頂禁止」になることが多い。

その他、雨、曇り、高温、文化的理由により登山口が閉まってしまうことがあり、月に数回しか開かない時もあるようだ。

僕は奇跡的にも、三日間の滞在中、毎日最高の条件でエアーズロックに登ることができた。
とても穏やかに、受け入れてくれた気がした。

頂上について、何時間も空と大地を見つめながら考えた。

命がけでここまで来たけれど、飛行機でひょいっと来ることもできる。

僕の目的は、ここに立つことではなく、自分がこの地球で生きている意味を知りたかった。

人は、「自分には本当に価値があるのだろうか?」と疑問に思うこともある。

この旅で、ほんの少しだけ見えてきた人生観。

それは、、

僕たちはここに存在しているということ、それ事態に大きな意味があるということ。

その意味は、今すぐに感じられる時もあるし、一年後かもしれない、十年後かもしれないが、いまやっていることは、良いことも悪いことも含め、必ず未来に繋がる。

そう、僕たちは、

「生きている」それだけで意味があるんだ

 

「才能は他人が見出し、それを磨くのは本人の努力」

 

それと同じように、

価値(意味)というものは、自分以外の他人のみが与えてくれるものであり、

自分で自分には価値がないと決めてはいけない。

誰かのために精一杯何ができるのか?

そう考えたほうが、よっぽど健康的だ。

 

生きる意味は、行動する前には決して答えを教えてくれない

行動し、生き抜いた後に、その意味は結果としてついてくる。

今、ものすごくつらい人生を送っている人は、生きる意味を求めて、自分には意味がないと命を絶つよりも、死なない生き方を考えていく方が、ずっと意味のある人生だと思うのです。

自分は自分のことを意味がないと思っているかもしれないが、

あなたを必要としている人が、この世の中には必ずいる

もし、本当に意味がないのだとしたら、あなたはきっとこの世に生まれてきてはいないのだから。

何度でも言おう、

あなたがここに存在するということ、そのこと自体にすでに大きな意味がある。

「幸せとは、気付くこと」

天国は、いま目の前、ここにある。

2002年  オーストラリアの旅より

人生観『生きる意味』/ 完

 

人生観『生きる意味』⑹

『生きる意味』について、第六回。

地平線の彼方にうっすら見えていたものは、エアーズロックではなく、テーブル型をした大きな岩山だった。。
エアーズロックに近づくと、このような岩山や渓谷がたくさん出てくる。

気を取り直して、前へと進む。

ここでようやく、ひたすらまっすぐに走り続けてきたスチュアートハイウェイを、エアーズロック方面に向けて左折する。

ここから約300kmほど、

車なら3時間、自転車で2泊3日!

そして食料も底を尽きてきた三日目の朝、
とうとう間近にみえて来た目的地「エアーズロック」!!

早くこの手で、エアーズロックに触れたくて、感じたくて、、
自然とペダルを漕ぐスピードは、いつもにも増して早くなっていた。

どんどん近づくに連れ、まだゴールでもないのに、涙が溢れ出てくる。。

そして、今まさに夕日に赤く染まり、燃え上がるようなエアーズロックが目の前に現れた。

総走行距離3,500km
総日数95日間。

日本から応援してくれた心友たちや、
シドニーで見送ってくれた、みんなの顔が目に浮かぶ。

あまりの強風で、一日に20kmしか進まない日もあった。

砂漠の強靭な植物のおかげで、一日に13回もタイヤがパンクしたこともあった。

途中、膝を壊してしまい、療養のため、田舎町のホテルで1ヶ月間働かせてもらった。
そこでも大切な人たちと出会い、学び、励まされた。

道中、車旅の人たちにも、たくさん応援していただいた。

ここでは書ききれない程の思い出が、走馬灯のように駆け巡る。

ただひとつ言えることは、

自分ひとりの力では、決してここまで来れなかった。

本当に、心から感謝しています。

たくさんの想いを胸に、

いざ聖地へ!

第七回へ つづく

人生観『生きる意味』⑸

『生きる意味』について、第五回。

朝、靴の中に入っているもの、、

それは、『サソリ』だ。

小さいながらも猛毒のサソリに刺されたら、砂漠のミイラと化す。

サソリに刺されて死ぬくらいなら、カンガルーに右パンチをくらって死にたい。笑

サソリに刺されて死んだら、なんだか悲惨感が漂うが、
カンガルーの右パンチなら、笑える。

自転車の旅において、食うことは、ガソリンを補給するようなもの。
ガス欠では、前に進むことができない。

町から町までの砂漠の旅は、米を炊いて、野菜スープを作るのみ。
行動食は、食パンとビスケット。

野菜スープといっても、保存可能な玉ねぎだけ。

小さな町に着けば、ソーセージやチーズなどを食べることができた。

この旅で、先住民アボリジニの人たちとの出会いもいくつかあったが、
印象に残っているのは、「塩と砂糖」に関して。

僕は、毎日行動食には食パンやビスケットに、エネルギー補給のためにカロリーの高いジャムをたっぷり塗って食べていた。

しかし日に日に身体が疲れていく。
次の日も、また次の日も疲れが取れなかった。

あるとき、アボリジニの人たちと食事を共にした時、焚き火で軽く焼いたパンをいただいた。

アボリジニの人たちは、そのパンに甘いジャムではなく、なんと「塩」をふりかけて食べていた!

衝撃のカルチャーショックを受けた。

生まれて此の方、当時、パンに塩をかけて食べている人を見たことがなかったからだ。

するとアボリジニは、こう教えてくれた。

「いいか、砂漠では糖分ではなくて、塩分をしっかりとるんだ。塩分は漲るパワーをくれるが、糖分は身体を疲れさせるぞ。」

その後、このアドバイスのおかげで、塩分の大切さを知り、積極的に塩をとることで、疲れは激減し、より一日の走行距離をのばすことができた。

さあ、いよいよ待望のエアーズロックの影が、地平線の彼方に現れてきた!

第六回へ つづく