人生観『生きる意味』⑶

『生きる意味』について、第三回。

昨日のブログを読むと、苦しいことが多い砂漠の旅のように思えるが、それ以上に心躍るような感動にも毎日出会えた。

以前紹介した、燃えるような朝焼けや満天の星しかり、

いろんな動物たちにも出会えた。

カンガルー、ワラビー、エミュー、ラクダ、ホーク、その他いろんな美しい鳥たち、そして見たこともないような巨大な牛!

若くて体力バリバリなシバテンは「牛になんて負けへんわい!」って思っていたが、オーストラリアの牛はあまりにも筋肉隆々の巨大な強面。
勝てる気がまったくしなかった。。笑

あれが、車に突っ込んできたら、、車の方が吹っ飛ぶわ!

しゃべる相手がいないので、いつも動物に話しかけていた。
時には、足の早いエミューと、どっちが早いか直線勝負してみたり。

ご存知の方も多いかと思いますが、
オーストラリアの砂漠では、人と動物を守るため、夜に車を運転してはいけないと言われています。

夜走っていると、カンガルーなどの動物が、車のヘッドライトに向かって飛び込んで来るからです。
なので、アウトバックを走るほとんどの車には、カンガルーバーという車の前部に鉄格子みたいなものが付いています。

それでも、事故は絶えなくて、毎日数十キロおきにカンガルーの亡骸に対面しました。

ここでも強いものが、最初に獲物に食いつくことになる。

まずは、ホーク(鷲)。

翼を広げれば、2〜3メートルにもなる大きさは圧巻!

鮮度が落ちやすいところから食べるのか、どのカンガルーもまずは目と心臓あたりを食べられていた。

内臓はホークが、その他の肉の部分は、他の鳥たちが食べていた。
いつも、尻尾が最後だった。

自然界の弱肉強食を目の当たりにしたこの経験は、いまでも鮮明に脳裏に焼き付いている。

第四回へ つづく

人生観『生きる意味』⑵

『生きる意味』について、第二回。

少し話は逸れるけれど繋がる、砂漠の旅。

上の写真は、砂漠に突如として現れた広大な「塩湖」。
白いものは全て塩で、乾いた砂漠でもここだけは湿った大地であった。

ここには、地球の歴史を肌で感じられる壮大な景色がある。

毎日が鳥肌の立つような、大自然との出会いの連続だった。

砂漠での距離感は、
今いる地点から、地平線までおよそ10km。
その10km先に到着すれば、また地平線まで10km。

一日に100km〜150kmほどの距離を走り、毎日これを繰り返す。

平坦な大地のようであるが、長く微妙な上り坂と下り坂の繰り返しがほとんどで、この微妙な坂道が自転車には、なんともキツい!笑

遮るものが何もないだけに、風も直に受ける。
季節風にもよるが、この旅では強烈な向かい風の日が多く、前進するにも大きな気力が必要だった。

当然、走りたくない日はある。
それでもひたすらペダルを漕ぎ続け、前に進む。

理由は、「自分の意志でここにいるから」だが、それ以前に、もっと単純な問題に直面する。

それは、食料が尽きてしまうということ。

そんな食料や水は、スーパーがある町が一週間先、なんてこともあったが、簡単なものであれば、数百キロ置きにあるガソリンスタンドの売店で買えた。

水は生命にとって必需品であるが、自転車の旅には、最も重たい荷物となるので、シバテン流 砂漠のサバイバル術では「2ℓのペットボトルを2本のみ」装備する。

水分は取りすぎても疲れるので、日中は必要最低限しか摂らない。

しかし、夜と次の日の朝は自炊をしたり、洗面をしたりするのに水が4ℓ必要なので、寝床を見つける前の夕方には、水を補給しなければならなかった。

実は、およそ100キロ置きに雨水の貯水タンクがあり、節水を心がければ、だれでも使用して良い水がある。
しかしながら、鉄のタンクに入った茶色く濁った貯水は、臭くてほとんど使えなかった。

ではどうするかというと、オーストラリアの砂漠を縦断する道路は、スチュアート・ハイウェイ、ただ一本のみ。

エアーズロックやアリススプリングス、ダーウィンへと向かう、すべての車はこの道を通ることになる。

なので、夕方になると親指を立てて、一時間に数台通るキャンピングカーに合図をする。

過酷な環境である砂漠では、皆が助け合いながら旅をするという暗黙の了解があり、ほとんどの場合一台目で車は止まってくれた。

「どうした?乗っていくか?」

と聞いてくれるキャンピングカーの人たちに、

「水を4ℓ分けてくれませんか?」

と言って、分けていただいていた。

これを毎日必要な時に繰り返すことによって、20ℓもの水を自転車に積まなくてよいというのは、本当に助かった。

オーストラリアのキャンピングカーにはおよそ100ℓ〜200ℓの水タンクが標準装備されている。

なので、4ℓだけ欲しいというと、

「それだけでいいのか?もっと持っていけ!食料は?」

と言ってくれるほど、みんなほんとに心優しくて、感動のしっぱなしだった。

旅は、いつも、出会いと経験と感動をくれる。

第三回へ つづく

人生観『生きる意味』⑴

『生きる意味』について、第一回。

若い時はとくに、自分がここにいる意味、つまり「生きる意味」について考えたりすることがある。

考えても考えても答えが見えず、悩み苦しんだ経験がある人は多いのではないだろうか。

シバテンも2002年、オーストラリアにいた頃、シドニーからエアーズロックへ向かう自転車の旅で、「生きる意味」について考えた。

どこまでも続く地平線、

想像を絶するような砂漠での孤独の中、そこで自分は何を感じ、何が見えてくるのだろうか?

その疑問を解くために、毎日ひたすらペダルを漕ぎ続け、そして考えた。

昼間は猛烈に暑い砂漠だが、朝晩は心底冷える。

毎晩寝袋にくるまりながら、焚き火をたきつづけ、満天の星空を見ながら眠った。

雨の降らない砂漠で、星空も見えない、風も感じられないテントで寝るなんて、「アホかおれはっ!」と思い、そのテントは砂漠の旅に出て、すぐに人にあげた。

壮大な砂漠の朝焼けをみていると、そのあまりもの美しさに「今日も進むぞ!」という大きなエネルギーをもらえた。

どんなにすごい冒険家でも、必ず思うことがあるという。

・なぜ、自分はこんなところにいるのだろうか?
・何をやっているのだろうか?
・何のために?

しかし冒険家でなくとも、人は、日々このような疑問を抱いて生きいる。

第二回へ つづく